ダイヤモンド経営者倶楽部「セミナーリポート」

大山流「ユーザーイン発想」に学ぶ顧客創造とは

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■プロダクトインからマーケットインへ
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1964年、私が高校を卒業するとすぐに、父親が癌でなくなりました。8人兄弟の長男だった私は、進学を諦めて家業のプラスチック成型工場を継ぎました。年商500万円の小さな下請工場です。

高校卒業してすぐなので、ビジネスの経験はまったくありませんし、教えてくれる人もいません。しかし「若さと志」を財産にがむしゃらに仕事をしました。当初は儲からない仕事や人が嫌がる仕事しか来ませんでしたが、それらを夜中の1時、2時まで働いてお客様に納めました。

そのような努力が徐々に実を結び、仕事の量も増え、利益が出る仕事も入って来るようになりました。このときに努力の分だけ付加価値が上がるというビジネスの面白さを実感しました。

しかし、私には一介の下請けメーカーの親父では終わりたくない、メーカーとして自立したいという志がありました。そこでいろいろと考えました。当時プラスチックは最先端の材料だったので、これを生かす身の丈にあったビジネスはないかと模索しました。分野としては、競合の少ないオールドビジネスを狙おうと考え、水産分野に目をつけました。そして開発したのが、真珠養殖に使う浮きです。初の自社製品。21歳のときです。

次に進出したのが、農業資材です。これも当たりました。業績は倍々ゲームで伸びていきました。そして、農業・漁業の中心は東日本なので、マーケットに近いところで製造しようということで仙台に工場を作りました。26歳のときです。

順調に推移していた事業が頓挫したのは、第1次オイルショックのときです。原料の石油の価格が何倍にも上がり、将来枯渇する可能性もあるということで、この先もどんどん上がっていくと予測されました。そのため、お客様は早目にどんどん仕入れてきます。大きな仮需が発生したのです。

それに合わせてわれわれも設備を増強していきました。ところが、石油の値上がりはぴたりと止まり逆に下がり始めました。そうしたら注文がぴたりと止まり、顧客在庫は2~3年分もある状態でした。市場は投売り状態。わが社も同様で、営々と築いてきた資産は瞬く間に減っていき、債務超過寸前にまでいたりました。仕方なく大阪の工場を閉鎖し、仙台に集中しました。大阪の会社が仙台の会社になったのはこのためです。

ビジネスの厳しさを身にしみて感じたときでした。

この原因は何か。「メーカーのプロダクトアウトの発想」が問題だったのです。良い製品を適切な価格で市場に出し、シェアを取ればビジネスは成功すると思っていました。しかし、景気は必ず循環し、バブル崩壊のような危機的状況は10年に1回は訪れます。その時にプロダクトアウトの発想で経営をしていては、必ず供給過多の状況になり、会社は苦境に陥ります。

それを回避するためには、消費者のニーズをしっかりつかみ、それを反映した商品を市場に送り込む「マーケットイン」の発想で経営をしなければならないと思い知りました。

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■生活者の視点から商品開発
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そこで私が取った方法は、まず、景気に左右されない生活分野を対象にしようということでした。次に、140万社の企業のデータベースを克明に調べ、次のような条件で参入分野を模索しました。

①自社の強みが活かせる、②今すぐ儲かる、③将来性がある、④同業他社に比較して優位性がある。
そうして選んだのが園芸用品です。

①木製が主流だった育苗箱を構造に工夫を加えてプラスチックで作る
②競合会社は小さな会社が2、3社ある程度だが、二桁の利益を上げていた
③世の中が豊かになり家庭での園芸は広がる
④競合が少なく小規模なので勝てる。

このように園芸用品は上の条件にあっていたのです。

次にどこで売るかです。その頃の園芸用品は種屋さんで売っていました。しかしそれではあまりにも広がりがない。そこで目をつけたのが、園芸もDIY(Do It Yourself)ということで、その頃登場してきたホームセンターです。品揃えを豊富にしたい彼らのニーズに合ったのです。

商品開発に当たっては、女房とともに私も園芸を楽しんでいたので、自分がユーザーになって、こんなものがあったらいい、こういうところが不便だと思う製品を次から次と出していきました。

生活者の代弁者として製品を開発していきました。「マーケットイン」から更に深めた「ユーザーイン」の発想の原点です。

販売ルートも問屋さんを通さずに直接ホームセンターに売ることにしました。問屋さんは平常時は、メーカーにとって機能する味方ですが、異常時になると換金のため、安く仕入れることのできる競合メーカーとの取引をする敵になってしまいます。そのため、自分の商圏は自分で守るために直取引にしたのです。

ただ、直取引は自分で配送集金をしなければならず効率が悪いので、それを上げるために取引ボリュームを上げなければなりません。そのために次々に新商品を開発し、ついには日本の園芸用品のトップメーカーになり、ガーデニングブームを演出しました。

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■値ごろ感の価格からスタートする引き算経営
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次に参入したのが、ペットの分野。犬は番犬、猫はネズミ捕りと見られていたペットをファミリーとして扱うための商品を発売しペットブームを仕掛けました。次がプラスチックの収納容器の発売です。仕舞う収納に対し、透明なクリア収納によって捜す収納を提案し受け入れられました。

このようにして「ユーザーイン」の発想で次々と新商品を開発し、今や1万4000アイテムの商品を取り扱うようになっています。しかも、その内、50%を3年以内に開発した新商品が占めています。常に変化する消費者の生活に応えていくためには、それだけの新商品の投入が必要なのです。

新商品の開発に当たっては、われわれは引き算経営で取り組んでいます。一般のメーカーは原価に適正利益を載せて価格を決める足し算経営です。

しかし、われわれはまずお客さまにとって値ごろ感のある価格からスタートし、それからお店の粗利分を引いたのが当社の売価です。それから当社の利益10%を引いたものを原価として物を製造するようにしています。

その典型的な例が省エネのLED電球エコルクスです。

大手メーカーは足し算で1万円位で発売しました。しかしわが社は1年の電気代で回収できる値ごろ価格2500円で発売し、それで製造できるようにしたのです。しかも、家電専門店ではなく、主婦の方がついで買いのできるドラッグストア、スーパー、ホームセンターに置いてもらっています。これもユーザーインの発想から出てきたものです。

これからも生活を取り巻く環境は大きく変化していきます。生活者の視点を忘れず、その変化に合わせた商品を開発し、仕組みを変えていけば、ビジネスは限りなく成長していくと確信しています。


(このレポートは6月17日に行なわれた定例会での講演を要約した)

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●講演者・大山 健太郎(おおやま・けんたろう)

1945年大阪生まれ。1964年大阪府立布施高等学校卒業。同年7月大山ブロー工業所代表者に就任。1971年大山ブロー株式会社を設立。1991年アイリスオーヤマ株式会社へ社名変更。現在グループ売上1785億円、社員2290名に成長。2009年5月藍綬褒章受賞。同年7月仙台市市制功労者賞も受賞。東北ニュービジネス協議会会長、仙台経済同友会副代表幹事などの要職も兼ねる。著書として今年の7月ダイヤモンド社より「ピンチはビッグチャンス」を発行。
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